【元祖1式】 放蕩息子の譬え(コース・日記)

先月から元祖1式思考停止を進めていたら

年末に(エゴ的には)「問題」と思える出来事が起こったことを

以前記事で書きました。

 

 

 

その出来事に関する作業を

いまも進め始めている所ですが

 

その間に

過去の出来事・我慢し続けていた記憶・感情や思い・・

様々な思考が浮かんできています。

 

 

 

思考に乗っかったり、思考停止アファをしたり

行き来しつつも

何故か体が楽になっていっていることに気づきました。

 

胸のざわざわはすごかったですが

不思議に思います。

 

 

 

 

かなりのザワザワと記憶・思考が噴出しましたので

数日ブレインダンプもしたのですが

 

以前だったら

ブレインダンプをしてすっきりしつつも

やっぱり思考や"現実"に飲まれたと思います。

 

ブレインダンプもとても効果的だと思います。

やらないよりは、(私の場合)やったほうが

思考の浮上や解体が進む感じです。

 

私の場合はブレインダンプから

インスピレーションを沢山得てきましたから。

 

 

 

ただ、それに加えて

思考をこねくり回さずに

 

 ・思考(エゴ)とは別の領域

 ・神

 ・完璧

を理解し、実践・体感。

 

そちらに自分を起き続ける時間を増やしたら

楽だということに今は気づきました。

 

 

 

元祖1式思考停止もそうですが

 

その『別の領域(神)に"委ねる”』

という意識もあると

 

無条件の幸せの感覚が掴みやすいのだと思います。

(これも、淡々と思考停止していれば

 自然とそうなる(委ねる感覚になる)と思います)

 

 

 

昨晩、お風呂でくつろいでいた時に浮かんだ感覚がありました。

 

私は、昔から

「(くるしい状況から)逃げられない」

という思いがありました。

 

最近その感覚が再び浮上し

俯瞰しながら思考停止をすすめていました。

 

 

 

 

お風呂中も

「逃げられない!」「どうしよう!でも逃げられない!」

「私はなんてダメなんだ!」

 

という、エゴの声が沸き上がったので

 

観察しながら

『 何も考えなくていい。神の完璧があらわれる。』

『 私は愛されている。』

 

そう唱えました。

 

 

 

すると・・

 

「あ・・、逃げ場はあった」

「本当の意味での、真の逃げ場は

 神しかなかったんだ・・

 (↑思考停止で体感している領域)」

 

そう気づきました。

 

 

 

コース(ACIM)や元祖1式思考停止など

霊性や、高度な潜在意識の学び(←引き寄せ云々レベルではなく)

がなければ

 

それを知らなかった子供の頃の私も

それ以降の大人の私も

 

そんな大切なことに

気づけるわけがないのは

当たり前だったのです。

 

 

 

一所懸命、この世界のレベルで

なんとかしようと疲れ続けるのは

当然だと。

 

 

 

 

もちろん、コースや元祖1式思考停止系の知識がなくても

自然体で、その幸せの領域の認識にたって

生きている人はいると思います。

 

でも、その様な人は現在は

少ない様に思います。

 

 

 

コースに出会ったのが8年くらい前。

元祖1式思考停止に出会ったのが5年前くらいです。

 

頭で理論はわかっていても

ずっと苦しく、この気づきの感覚にはなれていませんでした。

 

 

 

正しい言葉で言えば

 

「逃げ場があった」のではなく

 

私たちが、【完璧】の状態(神)から

逃げようとして作り出したのが

この世界であり、エゴ・思考なのです。

 

 

 

いまでも、自分の本質の部分は

【完璧】の領域で安らいでいるのに

 

その【完璧】な存在が

 

「個別な体として一喜一憂し

苦しい世界で生きている様な夢」を見ているのが

 

私達の本当の姿なのです。

 

 

 

 

聖書にもある放蕩息子のたとえ。

 

聖書は後世になって

追加されたり変更された部分が多くあるそうですが

 

放蕩息子のたとえは

Jesusが実際に使ったものではないでしょうか。

(ゲイリーレナード氏の本にも出てきます)

 

 

 

 

放蕩息子の譬えとは

 

 豊かな父のもとで

 何不自由なく育った男性が

 財産をもらって

 

 外の世界へと出ていき

 散財しひもじい思いをしていたところ

 

 自分の父の家を思い出し

 恐る恐る家に戻ると

 

 父は叱るどころか

 「死んだと思っていた息子が生きて帰ってきた」と

 祝宴をあげた。

 

というものです。

 

 

ja.wikipedia.org

 

 

 

 

この譬えの意味を

 

コースはもちろん

元祖1式思考停止も

 

実感・体感として私に教えてくれるのです。

 

 

 

 

元祖1式思考停止実践者の方も言っていました。

 

 「そもそも私たちは

  本来最高の状態にいるのに

  思考をめぐらすことで 

  だんだんと(苦しみに)落ちていくのではないか」と。

 

 

 

 

これからも

淡々と思考停止を続けていきます。