【言霊】続 「私には関係ないから関わらなくていい」(元祖1式思考停止)その2

(2021.01.05(昨日)記)

 

昨日、【言霊】「私には関係ないから関わらなくていい」(元祖1式思考停止)

という題名の記事を上げました。

 

この言霊(アファメーション)は

「他人にまつわる思考」を停止するのに

今の私にちょうどいい言葉だったので使用しています。

 

 

この音声アファを聞いていて

様々な記憶と、気づきが起こっています。

 

そのことについてメモをしておきたいと思います。

(今回は個人的な内容が多くなります)

 

 

 

気づきは大きく以下2つと言えます。

 ① 自分らしさを否定した過去の記憶

 ② 偽りの自分を演じるのをやめることへの恐れ

 

 

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① 自分らしさを否定した過去の記憶  

 

 

私は、幼少のころから

意識や自分の考えがはっきりしており

大人と変わらず周りを冷静に観察していて

 

かつ直感的なものもすぐれていたので

周りの状態や考えていることを読み取ることに

とても長けていた子供でした。

 

 

 

記憶力もよかったので勉強もできて

友人たちとも誰とでも楽しく

外を駆け回って遊ぶ子でしたが

 

 

 

こどもらしからぬ落ち着きがあったために

 

周りの一部の大人から

「反応が悪い」

など否定的に度々言われたり書かれたり

 

アピールが上手な子たちが

どんどん目立つことで大切にされ

 

私とは態度が違っていて

大切にされない様に感じられた時期があったことを

思い出しました。

 

 

 

また

今は少しずつ世間の価値観も変わってきているかもしれませんが

 

私が子供の時は、学校でもどこでも

褒められるということがほとんどありませんでした。

否定的な言葉が多かったように思います。

 

(日本の文化は往々にしてそうですが。

 人を褒めることを教えられることもありませんでした。

 今の子供達はどうなのでしょうか。)

 

 

 

今思うと

子供の個性を尊重できず

 

自分勝手な「こどもらしさ」の理想像を

押し付ける様な言い方をしていた大人達の

不安や未熟さ・おかしさがよくわかるのですが

 

 

 

そういったことへの

違和感を当時感じつつも

 

子供なので周りからの否定的な言葉を真に受け

 

否定的なことを言われないように

気を遣っていることが多かった様に思います。

 

 

 

 

また内面が成熟した子供だったため

  

 

無意味な争いを繰り返し続ける大人たちを

一所懸命宥めたり、なんとか仲を取り持とうとしたり

自分が視えている解決方法にそれとなく導こうとしたり

 

周りの大人たちのレベルに一所懸命話を合わせてあげたり

 

 

 

そんな気もないのに

子供っぽく振る舞うことで

その場の空気を和ませようとしたり

 

常に自分のことは後回しにして

その様なことばかりせざるを得ない子供時代でした。

(環境的な理由)

 

 

  

 

経済的に自立できないが故に

「相手にしてられん。さよなら。」

と立ち去ることもできないままに

 

周りをなんとかしないと

自分が落ち着いて生きられない

 

という状況にあったからです。

 

 

 

そして、自分の

鋭い直感力や、サイキックともいえる能力を

この様な人々をなんとかすることにずっと使い続け

 

「自分のことができない!」

というような思いがあったことが

思い出されます。

 

  

 

 

大人になったいまなら

堂々と自分に伝えられます。

 

「落ち着いていて冷静で穏やかな人間であって何が悪い」

「素晴らしいことじゃないか!」と。

 

 

 

 

こういった人生・思いだったからこそ

今の私には「他人にまつわる思考」を停止するのに

 

「私には関係ないから関わらなくていい」

と言う言葉がしっくりくるのかもしれません。

 

 

 

「遠い遠い埋もれた記憶」というのは

人それぞれのストーリーがあることと思います。

 

(だからアファメーション

 自分に合うものをその都度つかうのがいい)

 

 

 

それが今回

「他人にまつわる思考を停止」をすることで

 

漠然とモヤモヤしていた未解決だった思いが

俯瞰の視点から

クリアに浮かび上がって視えてきました。

 

 

 

そして

もう、そんなもの要らん

 

冷静に捨てることができています。

 

 

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② 偽りの自分を演じるのをやめることへの恐れ

 

 

大人になり霊性を自ら探求する様になってからも

 

 

「これ(霊性探究)こそ、自分らしくて楽しさ感じるんだけれど・・

 

 あまりに霊性を探究しては・・

 

 生活ができなくなるのでは

 人とうまくやっていけなくなるのでは

 仕事ができなくなるのでは・・」

 

 

という思いがあったことも

 

元祖1式思考停止をすることで

クリアに気付きました。

 

  

 

・自分らしくあること

・エゴや不要な信念を放棄すること

・自分の好きなことを探究すること

 

を恐れさせるのも、エゴである

 

と今の私ならわかります。

 

 

 

他人に合わせることや

生活などの心配をして

この世界に意識をとどまらせようと

 

常に気にさせる(恐れさせる)ことこそ

エゴの存続合戦であり

 

もし私たちがそのエゴのささやきにのっかったとしても

エゴは何もせず、ただ苦しみの状態にとどまらせるだけなのです。

 

 

 

自分らしくあることが、どうして自分を不幸にするでしょうか。

自分らしくあることを拒絶することが、どうして自分を幸せにするでしょうか。

 

 

 

自分らしくあることができなかった

過去の記憶などをあてにしてしまえば

 

ずっと過去(エゴ)のパターンの繰り返しです。

(本来、過去など存在しない。

 いま恐れを選択しているというだけ。)

 

 

 

 

いまの私は

「神」「神の完璧」との繋がりを大切し

信頼する部分が

心の中に広がり続けているので

 

そのエゴのまやかしが冷静にわかります。

 

 

 

そういった神・本当の自分・別の領域への信頼がなかったら・・

 

元祖1式のいうように

just do it 、実践あるのみ!と

淡々とエゴの声を捨てること、手放しも

できるかもしれませんが

 

人によっては

心許なく感じ

エゴの声に乗っかり続けてしまうことも

あることと思います。

 

   

 

 

1式実践者の方が言っていた言葉が好きです。

『思考停止は「設定を0にする」』と。

 

淡々と元祖1式思考停止を

続けていきたいと思います。