【言霊】「 私には関係ないから関わらなくていい 」(元祖1式思考停止)

元祖1式思考停止をしていると心が楽なので

「とりあえず年末まで集中的にやる・・」と思っていましたが

 

年明けも引き続き行っています。

 

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その中で

いつも「他人のこと」を思考してる自分がいるのに気づき

 

その思考を停止するための新しいアファメーションとして

 

私には関係ないから関わらなくていい

 

というものが浮かび、

ここ数日音声アファとして

リピート再生して聞いています。

 

 

 

アファメーションは、自分に合ったものを

自分で決めるのが一番です。

 

 

「 私には関係ないから関わらなくていい 」

というアファメーション

 

初めは特定の人々にまつわる思考にむけて始めたものでした。

(関わりが多かった今は縁のない人々向け)

 

しかし私の場合

「他人にまつわるすべての思考の停止」に有効だと気づき

聞き続けています。

 

 

 

「 私には関係ないから関わらなくていい 」

とはいっても、もちろん、日々色々な人に出会います。

 

買い物をしてもそうですし、ネット上で出会う人々もいます。

 

元祖1式の実践者さんたちが言う様に

また、コースでJやマスターたちが言う様に

 

普通に日常生活は送るのです。

 

 

 

元祖1式の目的は

歩く・運転する・・など

日常に必要な判断は当然しますが

 

そこで色々妄想したり、延々と過去や無意味な思考をしていること

もしくは五感から思考を発生させて振り回されていることを

停止するということです。

  

 

1式実践者のとある方が書いていて、わかりやすいと思ったのが

 

読書などをするときは「イベント」として楽しみ

それが終わったら、そのことについてあれこれ思考しない。

というものです。

 

 

 

 

 

私と関わりが深かろうが、浅かろうが

思考は全てとめるのですから

 

 "思考として浮かんでくる全ての人”に

採用していい

 

つまり「他人すべて」に採用していい

と気づいてからは

 

 

 

「他人のこと」が思考として浮かんでくると

苦しさや楽しさや・・

 

様々な感覚にのってしまいがちだった自分にとって

 

このアファメーション

とても心を楽にさせてくれるものになりました。

 

 

 

と同時に

 

いかに自分が「他人」にばかり囚われて

「私自身」をないがしろにしていたか

ということも、よくわかってきました。

 

 

 

次々浮かび上がってくる記憶・思考を

アファメーションとともに冷静に俯瞰・観察していると

 

 

 

生まれた時から、幼少時代から今に至るまで・・

 

いかに自分が

興味もないことやこの世界にまつわる

ありとあらゆる事象を

 

自分のことの様に、個人的にうけとることを

強制され続けてきたか(←この世界のレベルで言えば)

 

ということに気づいたのです。

 

 

 

興味ないことでも、嫌なことでも、嫌な相手であっても

 

話を聞け、覚えろ、これをやれ、言うことをきけ、言われた通りにやれ・・

 

こんなことがあった、あんなことがあった

 

自分たちにもその様なことがおこる、恐ろしいぞ、怖いぞ・・

 

 

 

そんなふうに刷り込まれ続け

それを大人になっても、いや生涯にいたるまで

引きずり続ける・・

 

「あの人がああ言った」「この人がこう言った」と。

 

 

 

それも個人の選択だからいいですが

 

では、そういった外側に気を取られている間

自分自身に対して何をしているのか?

 

 自分を蔑ろにし

 他人のことばかりに気を取られ

 自分自身を怖がらせたり、脅したり

 外側の言うことばかり信じて

 違う自分になるために、他人に気に入られるために

 自分に厳しくしたり、何かを強いたり・・・

 

そんなことばかりしてきたのではないだろうか?

  

 

 

「 私には関係ないから関わらなくていい 」

 

と「他人にまつわるすべての思考」を

止めるアファメーションをすることで

  

そういった自分の心の状態が

クリアに俯瞰して見えてきたのです。

  

 

もちろん、ここまでくればよく分かりますよね。

その心の中のイメージ・状態に相応した現実が

投影されるのです。

 

そして、延々と同じ思考をし続けて

自分のことは蔑ろしされたまま漠然と苦しむ。

 

 

 

 

こういったあり方に

なんの疑問ももたない方

苦労・苦しみが人生の当たり前・そういうものだと思う方も

いらっしゃるのはわかりますし

それは尊重します。

 

 

 

ただ、そういった世間の「常識」に

自分の正直な気持ちが合わず苦しんでいる方は

わかっていらっしゃると思います。

 

 

「自分には、この世界で本当にやりたいことがあって生まれたはずだ」

「自分は、自分らしく幸せにあってもいいし、そうありたい」

「自分の本当の思いに正直にいきたい」と。 

 

それには

自分と向き合い、自分を大切にし

自分自身の声(インスピレーション含む)を聴く必要があるのです。

 

 

 

 

「私は一体・・何をしていたんだろう・・」

 

外側にばかり気を取られ

自分のことを疎かにしていたこと・・

 

脱洗脳にも近い感覚を覚えると同時に

体のどこかが少しずつ緩んでいくのも感じられました。

 

「他人」という、いつのまにか背負い続けていた

自分に不要な荷物を下ろしているからでしょう。

 

 

 

 

 

 

また、

「他人にまつわる思考」は

 

当時の自分の

感情や、不要な信念の投影でもあるわけです。

(今も内側で思考・記憶として持ち続けている)

 

たとえばお金や愛や・・

何かに欠乏や不安を抱いたままに出会った人々との関係性や状況は

欠乏や不安を象徴したままで終わっていることが多いのは

 

容易に推測できるのではないでしょうか。

 

 

 

ただし、自分の内面が変化し

もうそのような恐れの状態が無意味だと気づいている場合

 

安心(愛)と恐れ(古い信念)が混在しているような心の状態のまま

 

安心(愛)に足場を置きつつ

 

いま、この瞬間に

自分のことを再定義・再選択できるのです。

(心の中での断捨離とも言えるでしょう)

 

 

 

 

 

1さんもおっしゃっていました。

コンピューターのバグを少しずつ取り除いていく様なものだと。

(バグが消えたら、「完璧」が現れるだけ)

 

 

 

「 私には関係ないから関わらなくていい 」

と、「他人にまつわる思考」に対してアファメーションすることは

  

その当時、自分が選択した状況や感情、不要な信念に対しても

 

「要らない」

「私は神の完璧に委ねるから」

「関わらない」

「もうそのような人生は要らない。」

 

と宣言しながら、取り消しているのと

同じことであることも気付きました。

 

(他人は自分自身の投影ともいえる)

 

 

 

 

 

私にとって

 

浮かんでくる過去や不足・欠乏の思考に対して

「 私には関係ないから関わらなくていい 」

 

と宣言することは、同時に

 

私は神の完璧にゆだねる

と宣言するのと等しいことです。

 

(先にも述べましたが、これはあくまで私の感覚です。

 人それぞれ自分に合ったアファメーションを使うのがいい

  

 

 

そのために

体にも反応が出て

緩んで軽くなっていくのを感じているだと思います。

 

 

今後も続けていこうと思います。