【言霊】「私は愛されている。守られている。大切にされている。」

一つ前の記事を書き終えたあと

買い物に出かけました。

  

その時々で、自分が必要だと感じるアファメーション

音声にしてリピート再生で聞くのですが

(思考停止の時は思考停止用のアファを聞く)

 

今日は

「私は愛されている。守られている。大切にされている。」

でした。

 

 

 

私の中にはふと

「私は愛されない。愛される価値がない。」

という信念・感覚が浮かんでくる時があります。

 

 

これは、ありとあらゆる不足感や欠乏感も

含めた意味です。

 

 

 

本来私たちは

神の一部であり、永遠で普遍(不変)ですべてが「ある」

そんな存在なのですが

 

「自分は体だ」というこの夢の世界では

「自分は体だ」とみなしている限り

ありとあらゆる不足や欠乏を感じています。

 

世界自体がそのようなもので溢れて構成されている感じですよね。

 

 

愛されたいから

自分には力がないから

価値がないから

お金がないから

魅力がないから

いい仕事がないから

 

頑張らないと

何かしないと

なんとかしないと

自分はダメなんだ・・・

 

 

そのようなことです。

 

 

 

私達の「現実」とは

神の一部である私たちが

神から「分離した」と勘違いしている夢のようなものです。

 

その夢の人生において

ありとあらゆる形や違いのある

「欠乏」や「不足」(恐れ)を感じている、

 

そんな私たちが求めているのは

結局のところは

神の愛であり、それは無条件で永遠の愛とも言えますが

本来の自分自身の姿なのです。

 

 

私たちは、神の一部・神の子供であるが故に

神と同じ創造の力を持っており、

それを「分離した」という罪悪感をもとに

誤創造(=この世界・体の自分)の夢をみているわけです。

 

(本当はいまも全生命が神と一つであり、永遠に愛されている。

 分離など起こっていない。故に創造の力もそのままにある。)

 

 

私たちは、神と同じ力(創造の力)があるので

本来の私たちにはあり得ない「ない・不足・欠乏」という夢を

見ることができるくらいなのです。

 

 

過去の記憶を元に自分を規定してしまえば

延々と自分は不足だらけに感じるでしょう。

   

自分にはあれが足りない・これが足りないと

追いかけ続けなければならない。

  

 

  

それは、自分の中に不足・欠乏感があるから

その様な人生(夢)を自分で作り上げてしまうのです。

 

 

 

本来、外側の現象はなんの意味もなかったのですが

あまりにも知覚がリアルであるが故に

  

自分が「不足・欠乏」とみなし続け

そのサイクルが続く。

 

本当は「過去」など存在しないのに

それがさもあるかの様に

 

私たちの心の内側で温存させ続けるためにも

エゴは「過去の記憶・イメージ(という幻)」というものをも

作りだし利用する。

 

  

 

エゴの作り出している「過去」という

幻想を今心の中で繰り返し続けてしまうサイクルを

やめて方向転換するには

 

今この瞬間、毎瞬毎瞬

自分にとっての新しい選択をするのです。

 

 

(なお、この世界での「いいこと」も

 「悪いこと」「ないこと」の裏返しだったりもします)

 

 

  

本日

「私は愛されている。守られている。大切にされている。」

というアファを聞きながら

 

外を歩いていると

様々な記憶が甦ります。

 

 

 

昔の苦しかった思い出や、辛かったことや・・

 

様々な問題の形をとっていた様に思えることが

実は「愛(神)がない」という

欠乏感からきていると気づいているいま、

 

 

目の前で流れていく現状(現象・光景・自分の体)も関係なく

 

「私は愛されている。守られている。大切にされている。」

 

と宣言・採用し続けました。

 

 

 

状況は何も変わっていない様に思えても

状況や外界に対する『自分の心の反応』を変えるのです。

 

前はAという状況に出会うと、不足感や恐れの反応をしていたところを

外的状況や起こる現象は一切関係なく

 

「私は愛されている。守られている。大切にされている。」

と心の中で宣言・採用し続けるのです。

  

 

 

それが本来、事実なのですし

 

「今この瞬間の」自分の心のありようが

世界を作っているのですから。

 

 

 

「愛(神)」は

外を探しても存在しない。

 

なぜなら、外の世界は(自分の体も含め)

私自身の心の投影に過ぎないから。

 

鏡に映る自分をなんとかしようと鏡に求めても

しょうがないのと同じです。

 

 

 

自分の心が先・「主」であり

 

世界や現象は後・「従」で

流れてきては消えゆくだけのものなのです。

 

 

 

「外側は関係ないんだ。

 今、何が起きているように見えようが 

 すべて、愛は私の内側にある。私が愛なんだ。」

  

 

 

自分の心が映写機であるような

全て自分の心から世界が広がっている様な

そんな感覚を覚え

 

「もう、外側に振り回される「私」でなくていい」

 

安心が内側から感じられました。

  

 

 

これは

 

今までは、「現象」という混沌のさなかにいた自分が

 

それら全てを上から見下ろしている様な 

別の安全な足場から全てを眺めているような感覚(俯瞰・観察)

でもありました。