【日記】「良くない」ような出来事が起きた件

2021年になりました。

喪中ではありますが、昨年お世話になった方々には感謝し

今年も自分らしい1年にしていこうと思います。

 

  

 

また、こちらのブログは

自分の自己表現ために好きに自由に書き綴っているものではありますが

 

何かのご縁により

目に留まって読んでくださっている方がいるとしたら

その読者様にも感謝とともに

本年も良き年になりますようお祈り申し上げます。

 

 

 

さて今回記事の本題ですが

 

先月(2020年12月)途中から

年末に向けて元祖1式をやり続けるつもりだということを

記事にもしてきました。(参照:当ブログ 元祖1式思考停止カテゴリー

 

 

  

順調に穏やかに過ごせているかの様に感じていましたが

 

年末に急にエゴ的には「良くない」と判断できる様な出来事が

発生しました。

 

 

  

具体的には

親族が、私にも関わる事柄で詐欺契約をされかけた

ということなのですが

  

その親族は対外的な交渉ができる状態にないので

このことは私が色々動くことになりました。

 

これについての処理を進める中で

合間を見ては思考停止をすることをつとめたり

この世界の真理や、自分の真実を思い出す様にしていました。

 

(世界・現象は私(エゴ)が作り出した夢の様なもので

 私の心の中を象徴しており

 私の本質は神の愛・光で傷つき得ないこと)

 

  

  

私の場合、普段の習慣として

 

・思考停止を進めるとともに

・時々、思考停止からは降りて

 自分の観察をしながらブレインダンプ(書き出すこと)もしますので

 

この出来事をとおして自己観察も行い

改めて今までの自分の癖・要らぬ信念・パターンが見えてきました。

 

 

 

私の要らぬパターンとは

過去の生育環境(生来の家族環境)の中でもそうだったのですが

「自分のことは後回しにして周りの人を助けないといけない」

というものです。

 

特に人生の前半はそのようなものでした。

 

 

  

(「パターン」「不要な信念」は

一言では言い表せられるものではなく

 

大抵はそこに更に他の信念がつながっているものなのですが

今回ここでは詳しく説明しません。)

 

 

 

もうそれは終わりにして

 自分の人生を生きること。

 

そのための一環として、思考停止をしている時に

詐欺事件のようなことが親に起きて、私が動くことになったのです。

(いわば、同じ様なパターンです)

  

 

  

親族が結んだ契約で、私の名前も入っているものだったため

私自身が相手と直接的にやりとりをしてきたのではないですが

 

過去に数回やりとりした中で

『もし私だったら、この様な人間とは初めから一切関わらないし縁を切る』

という思いがありましたので

  

ここで大きな問題がでたことは

とてもいい機会だとも思ったわけです。

 

 

 

  

そして

 

自己犠牲的な観念で生きている世界から

もう縁を切って、自立する

 

ということの象徴でもあると感じられました。

 

 

 

もちろん、形而上的なレベルで見れば

こういった登場人物も、現象も、この世界や宇宙自体も

私が作り出している自作自演のようなものといえますが

 

ゲイリーレナード氏の本でも

赦しはそれが起こったレベルでなされなければならない

とあります。 

  

   

今回起きた現象に対処すると同時に

心の中では赦し・思考停止をする必要があるということです。

 

  

  

『 生まれた時から

  まるで自分が犠牲者であるかのように

 

 「自分のことは後回しにして周りの人を助けないといけない」

 

  という人生の設定を組み込んで

  この生という夢を生きてきたのですが

  (それが真実でリアルであるように)

 

  その設定・夢を取り消すことができるのも

  私自身(聖霊とともに)だということを

  忘れないようにする   』

 

 

 

この思いだけでも

 

現実的に様々な処理をしている際も

その智識がなかった時と比べたら

 

心的ストレスは非常に、比べ物にならないほど少なく

平静でいられるのです。

 

 

  

 

もちろん、こういったことは

現に様々な悩みを持っている他人に言うことではありません。

 

人が悩んでいるときに

「それもあなたが作っているんだよ」など

言われたらとても腹立たしいことでしょう。

 

 

人が真実を求めているときに

このようなことを伝えればいいわけです。

 

 

 

私は、こういった形而上的智識・智慧に出会えたので

 

淡々とこの世界の生活を生きつつも

 

心の中では、そういった心のありようを選択して

進んでいくだけです。

 

 

 

赦しの結果は、期待するものではなく

例えそれを見ることができなくても

淡々と行うもの

 

とゲイリー氏の本にもありますが

 

自分の心が平静でいられるという

素晴らしい恩恵がこの世界のレベルの経験で得られるだけでも

 

赦し・コースの学びを

実践する価値があるでしょう。 

 

 

 

これは元祖1式実践者の方々も

よくおっしゃっていることです。

 

「思考停止をしている状態そのものが幸せなので

 結果がどうこうとかどうでもよくなる」と。

 

それが、真に「赦し」(=1式思考停止)がなされている状態

ではないでしょうか。

 

 

 

 

コース(ACIM)とともに生きる今の私にとっては

 

この世界で起こることの全てが

『赦し』のためにあるのだということを

 

改めて忘れないでいきたいと思います。