【元祖1式】だからどうした "So what!"

昨晩眠りにつく前に

元祖1式思考停止アファをリピート再生しながら目を閉じて

自分の内側の感覚を感じていた。

 

次々と思考が浮かんでくる。

 

それをかわせば楽だし

それに乗っかれば苦しくなる。

 

 

  

そして気付いたこと。

 

①私はいかに「我慢」や「愛されない」という

エゴによる人生の嘘の脚本(生まれた時から)を

リアルにし採用し続けていたかということ。

 

そしてそれが、単なるこの思考によるものでしかない

ということ。

 

思考停止をすると

あまりにリアルで、のめり込みすぎていた脚本から

少しずつ、少しずつ、足が遠のくというか

 

俯瞰の視点、洗脳が覚めていく様な・・

そういう感覚が起こってきて

 

より自分のことを客観的にみて振り返ることができるように

自然になっていると感じる。

 

本来の私たちは

この宇宙に収まり切れないほど、大きな存在である

ということへの体感が広がるのだと思う。

 

まるで太陽の光を遮っていた霧が消えていくような感じだ。

 

(まだまだ、こんなにも苦しい役にはまっていたのか・・と少し驚く)

 

 

 

②体に関する心配や考え事も

しょっちゅう思いめぐらしているということ。

 

「ここが痛い・・きっと○○だからだ・・△△しなきゃ・・」

 

例えば、腕が痛い・脚が痛いと感じたときに

「あの時からずっとこんなことしたからだ・・」

「あれが原因なんだ・・」

「なんとかしなきゃ・・」

  

と、もう存在しない過去を

自分の中で自ら反芻し続けて

リアルにしている。

 

もちろん、薬や病院へいくなど

然るべき処置をすることは大切だ。

 

マインドの部分としては

 

時間の連続性は本来ないのだが

こういった心(エゴ)のトリックが

 

まるで時間が連続していて、

自分は過去の続き・積み重ね・結果でしかないように

思わせているのだ。

 

体に関しても同じだと気づく。

 

 

 

③すべては自分の内側から出ている。

 

だから、撮影済みである映像にすぎない

現象・結果に反応しつづけてもしょうがない。

  

それは、放っておけば毎瞬消えて変化していくものだから

自分の内側の神聖さにフォーカスし、保ち続けていれば良いのだが

  

(川の中で上流側を向いていて

 上から勝手に現象が流れては通り過ぎていくイメージ  *時間は未来から過去へ

  

外側の事象(体も含む)に反応し続けて

同じ様なパターンを延々と続けさせようとエゴ(思考)はする。

  

(ある出来事が起こり、落ち込んだとしても

  

 それは、少し前の自分の心の内側の結果で

 瞬間瞬間に消えていくだけのものなのだから

 

 いま、この瞬間に

 真実=私は素晴らしい存在・不変(普遍)で傷つき得ないスピリット

 ということを持ち続ければそれで良いだけなのだ。)

 

あくまで自分のいまこの瞬間の内側が「主」であり

外側(自分の体を含む)は「従」(影の様なもの)にすぎない

 

だがそれが、逆転した無力な存在であるように

エゴは私たちに思わせようとする。エゴ自身の存続のために。

  

Basharは外側で何が起ころうと

「So what!?(だからどうした!?)」と言っている。

 

 

  

④ ①の続きといえるが

 

「我慢」「愛されない」「自己犠牲」という

エゴの脚本の洗脳が薄れてきたことで

  

『私は(神に)愛されている。』

 

"そこにもっとフォーカスして感じて浸って欲しい"

という思いが自然と湧いてきた。

 

 

 

 

これからも

淡々と思考停止アファは続けていく。

 

 

 

今後への意識としては

 

●「我慢」「自己犠牲」「愛されない」

 というような反応をし続けていた自分にもっと気付きやすくなったし

 

私は体ではない」という意識も

 これからはもっとフォーカス・気づいても良いと感じた

 

 (体の痛みなども、思考停止で心で反応しないと軽くなったりする。

 これは瞬間的なだけではなく、長期的にやれば

 大きく変わるのではないだろうか?

 ↑「病は気から」にもつながること)

 

「私は(神に)愛されている」「私は素晴らしい」

 ということにも、もっと積極的にフォーカスして良いと思う。

 

 実際、私は素晴らしいのにどうしてこんなに我慢や自分を抑えたり

 否定ばかりしてきたのだろう?と

 

 ふと不思議に思えてきている。

 

 (思考停止で他人や世界への(自分の)反応を

 遠い過去の記憶であっても跳ね返して、『神の完璧』に浸ると

  

 "どうしてこんなどうでもいい薄っぺらなものに惑わされ

 大切な自分を抑え苦しんでいたのだろう?"と

 

 思えてくる。