【元祖1式】「他人」という幻想を無・光へと還す

一つ前の記事の元祖1式思考停止手記にも書いたが 

  

acimsjb.hatenablog.com

 

  

いかに自分が色々思考しているかが

痛感させられている。

  

 

 

他の人はどうなのか知らないが

特に私は、他人のことばかり考えていると感じた。

 

いま、目の前にいるわけでもない人を

ジャッジする思考を反芻ばかりしている。

 

  

 

過去にこんなことがあったから

こんなこと言われたから

昨日こんなことをあの人が言っていたから

 

こんな風に対処しなくちゃ

こうしなきゃ

それはこう思う

 

と、作戦会議みたいなことを延々としている。

 

 

 

改めて思考停止状態で俯瞰すると

何ともアホらしい。

 

そう思えるのは、もう自分が

この世界や、過去の記憶というものを

リアル・実在だと思っていないからだと思う。

 

かつ

「自分がその夢の様なこの世界・現実の作り手だ」

という心の立ち位置に移行していっているからだと思う。

 

  

 

自分を体でしかないと思っていた時は

(エゴ・思考は、そう思わせるためにこうして延々と仕掛けてる)

 

次々浮かび上がる思考や記憶が

あまりにリアルで

 

それを止めたり、手放すなんてとんでもない!

恐ろしいことだ!もっとひどいことになる!やられるぞ!

何とかしないと!備えろ!警戒しろ!

 

という、これまたエゴの脅しともいえる叫びに乗っかっていたのだ。

 

(1さんの思考停止に過剰反応していた人々と同じこと)

 

  

 

私の思考停止アファはいくつかあるが

 

「何も考えなくていい。神の完璧があらわれる。」

 

というものを使っている。

 

  

 

次々に浮かんでくる他人の存在・姿をした思考・・。

 

そこに自分の罪(罪悪感)を投影して、他人という映像に罪をみて利用しているのだ。

 

でも、そんなもの捨てても構わない。

今の私はそう分かっているから

 

 

 

コースでいえば

私も他の人たちも体ではない。

一なる神の子。

 

他人をそうみることで

自分の心も癒されていくということ。

  

 

 

何も考えなくていい。神の完璧があらわれる。

 

 

延々と沸き起こる

「他人」にまつわる思考に対して

心の中で繰り返す。

 

  

 

これは

神の完璧として

その相手を体ではなく、光で取り消している感じがする

ということに、先ほど気づき

 

コースの赦しと同じとして

続けていけばいいのかもしれない。

 

そう思った。 

 

 

 

*******

 

1さんが、思考停止を紹介したときに

たくさんの人から激しい抵抗にあったのだが

 

実は、私自身にもそういう体験があった。

 

匿名でネットに何気に1さんのまとめリンクを紹介しただけだが

それでも、反発にあった。

 

それほどに、人はエゴを手放すことをおそれているのだ

(というかエゴの恐れのサイクルに乗っかり続けている)

 

 

いま、正直私は思考停止状態が進むほどに

自我・エゴ・思考で人生を何とかしようと

「頑張っている」「力んでいる」人とは

 

自然と波長が合わなくなり

あえて関われなくなってしまった。

 

1さんも、かつては潜在意識という考えに出会い

エゴ(顕在意識と1さんは呼ぶ)でなんとかしようとしていたが

 

結局「思考停止がいい。両方知って、こちらが真の幸せと分かった。」

と書いていたが、相当な反発にであっていた。

 

潜在意識・引き寄せ云々界隈であっても、それで「頑張っている」ところに

「思考停止」のあり方を伝えても

 

反発しか起こらない、何を言ってもどうしようもないのは

私も体験で十分知っているので

 

(きっかけが1式思考停止ではなくとも)

「委ねる」あり方の大切さを知っている人とだけ

自然と共にいたいような感覚になってきた。

なんとなく。

 

 

どちらが良い・悪いではないが

これは人の人生・あり方すべて根本として、とても大きな選択肢で

 

私は自分の選択した道をこれからも進んでいくので

もっとそれが(住み分け?)、分岐のように明白になっていくと思う。