【日記】砂上の楼閣

このブログは

 

自分自身のことを、正直に表現する。

本当の自分を表現する。(正直に=妥協なく)

 ー たとえ、世間の常識とは違くても

 

を理由に開設したものですが

 

 

ふと、今朝浮かんだ言葉・イメージがありました。

 

「砂上の楼閣の住人はどちらなのだろうか?」

ということです。

 

最近は、過去の投稿数記事にも書いているとおり

コース(ACIM)に基づいた「神の子」としてのアイデンティティ

自分の中で拡大・フォーカスしているのですが

(=他のすべての人も「一なる神の子・無条件の愛」という認識)

 

今でもそれは日常生活では口外することはありません。

隠しているわけでも、抑えているわけでもなく

霊性に関わる内的体験というのは超個人的なものであるからです。

 

同じような心の認識・立ち位置で

同じものをみている人に出会えば話す程度です。

(現時点ではあまりいませんが、今後そういった話ができる人々との出会いは

私の身に増えていくと思います。)

 

私の場合、これが幼少の時から日常であるので

自然とそのような形に落ち着いています。

 

 

ただ、過去には、このような自分の感性・性質・個性が

「何の役にも立たないもの」であるように感じていた時期も長く続きました。

 

  

この世界では

ー いかに生き残るか

 

何とかして他人と繋がったり、媚びたり、利用したり

生存・豊かさを求める様々な「作戦」「戦略」

 

もしくは、一部の人や実態のない何かのために

人々が生きるように教育を施されている

(自分の人生を生きるのではなく)

 

そのようなことが繰り広げられています。

 

コースでいう「(エゴによる)「犠牲」の観念」に基づいた生存競争のようなものです。

 

(それが、あまりに当たり前すぎるセルフイメージに組み込まれているので

逆に、どこか自分とは関係ない遠い世界のことを言っているかのように感じる方も

少なくないのではないかと思います。)

 

 

その中でも、心の奥の何かに突き動かされるように

昔から霊性というものの探求を続けてきました。

それをやめることはどうしてもできなかったからです。

 

純粋に好きなんだと思います。

それこそが自分自身という感じです。

霊性の探求をやめることは、当たり前の「呼吸」をとめることと同じ感覚でした)

 

 

私自身

霊性を探求したい」という心の奥にあった本当の自分の感性・個性とは裏腹に(むしろ抑えて)

「この世界」のシステムをリアルにし、その一部の体として自分を認識して生きてきた人間です。

 

そういった意味で

「自分は役に立たない。価値がないのかな。(この世界において)」

そう感じ続けていた時期もあるわけです。

 

  

そのような人生の中で

コースのような非常に抽象度の高い思考システムを

(非二元・ワンネスは完全なる抽象なので、それに近づくほど抽象的になる。)

 

「ふわふわしている」

「地に足がついていない」

 

という表現にであったことがあります。

 

(「ふわふわしている」の表現もまた抽象的なので

真意の程は分かりませんが、お金や個々人の悩みに繋がっていないということかもしれません。)

 

 

それについて、気づいたことなのですが

「では、どちらが砂上の楼閣の住人なのだろうか?」

ということです。

 

 

ー あなたたちは、無限の可能性がある、神と同じ性質をもった愛そのものであるのに

エゴ(分離や罪悪感)から投影された、個々別々の無力で小さな体を自分と思い

「犠牲」の概念に基づいた、熾烈な生存競争の「この世界」で生きていこうとしている

 

幻想とも夢ともいえる

絶えず変化し滅びゆく

諸行無常のこの世界に

「死」を恐れながらビクビクとすがりつく

 

そのことが、

真に「地に足がついている」ということなのでしょうか?

それがあなたの幸せなのでしょうか? ー

 

 

これは、人それぞれの心の認識・立ち位置の違いなので

誰かを正そうとしたり、教えようとする意味合いは全くありません。

 

(なお、ゲイリー レナード 氏の本の中ではこのことを

「砂の上の住人」「岩の上の住人」と描写しています。) 

 

ただ今後、私が自分の道を生きるにあたって

まさに自分自身の感性であったもの(霊性)への疑義のようなものが

自分の中で一層に晴れ渡り

 

「私はこの道をゆくで間違い無いのだ」

という確信と自信に気付いたのです。 

 

  

(すべての人が 

それぞれに素晴らしい役割や才能、好きなことがある存在と思うので

みんな自分のそれに基づいて自然体に生きられたらいいね、と思っています。)